このイギリスのことわざには、2つの解釈があります。
ひとつは、「転々と職業や住居を変える人は、成功できない」という、英国式の保守的な解釈。
もうひとつは、「活動的にいつも動き回っている人は、能力を錆びつかせない」という、米国式の革新的な解釈。
このことわざが象徴するように、ヒトにとって“移動”は、毒にも薬にもなり得ます。
それにも関わらず、いや、それが故か、家から一歩も出ずに生きていける世界が実現したというのに、ヒトはやはり、わざわざ“移動”したがる生き物だということを、コロナ禍で私たちは知りました。
そしてそれと同時に、「必要に迫られた移動」ではなく、「創造的な移動」に集中できる世界の幕開けともなりました。
であるならば、望む望まざるを問わず、多くのヒトが大前提としている…一箇所に留まり「定住する」。移動したいときは「旅する」。
…この合理的な極論としての二択に、もはや選択肢を縛られる必要はないのかもしれません。
「住」と「旅」との間にはきっと、0か100かではなく、無数のレイヤーがあって。
その解像度を上げていけば、例えば、二拠点生活・アドレスホッピング・ワーケーションといったように、“移動多様性”が広がり、そして、新しい暮らし方が生まれる。
だとすれば、“移動多様性”が広がるということは、例えば「都市と地方」の課題においては、特効薬になるかもしれない。
いや、「国と国」においては、より問題を複雑にする猛毒と化すかもしれない。
“移動多様性”が社会において、毒となるか薬となるか。その答えを、おそらく、ヒトはまだ知りません。
はっきりしているのは、その多様性が広がれば広がるほどに、私たちの社会はきっと、今までにない難しいバランス感覚が求められるということ。
しかしそれでもなお、その難しさと伴走しながら、“移動多様性”を広げることで、ヒトの、社会の、“幸せの多様性”も広げていきたい。
それが「tent /転人」のビジョンです。
・・・では、“幸せの多様性”のためになぜ、“移動”、そして“移動多様性”からのアプローチを選ぶのか。
ここに、その説明を代わって引き受けてくれる、興味深い研究があります。
ー「人は移動するほど幸せを感じる」という研究成果
https://globe.asahi.com/article/14502555
詳細は記事に任せますが、この研究によって「人は移動するほど幸せを感じる」ことが、一定程度データで示されました。
それ自体が大変興味深いものですが、なかでも私が最も注目したのが、以下の一文(「 」内)でした。
ー 人は移動するほど幸せを感じる。
ただし、「どれだけ遠くへ、ではなく、どれだけ多様な新しい場所に行くかが重要だ」 ー
『転がる石に苔むさず』。
その解釈は、時代で、地域で、環境で変化します。だからこそヒトにとって、「多様な新しい場所に行く」ための選択肢は、より豊富であることが望ましい。
そしてそのために、“移動多様性”の可能性は、探り続ける必要があるのだと考えています。
「tent /転人」代表・鈴木英嗣